オイルショックを教科書の写真(トイレットペーパーを取り合うおばさまたち)で知ったように、一連のコロナ禍のようすも写真1枚にまとめられて教科書に載るのだろうか。
だとすれば、選ばれし1枚はどれだろう。マスク姿のサラリーマンですかね。
わたしたちが約1年間、感じているこのきもちやあらゆる不便、そのほかほとんどのことは教科書にはのらないし、忘れられていくのかもしれません。
マスクケース、無限くら寿司、手芸店大混雑、zoom飲み、エトセトラ。
たくさんの人の死。経営難に生活苦。つらいこともたくさん。
けれど、こんなときだからできたこと—自分で考えたことや、自分の気持ちと向き合った経験はなくならないし、仮に忘れても自分のなかにのこるものだから大事だと思う。
わたしは可能ならば、お給料やボーナスをもらって貯金をしてお金持ちになりたかったです。(考えたことそれかい…) でも不可能だった。みんなが頑張れていることが自分にはできない。どんどん自信がなくなっていった。あと、そんな漠然とした安定・幸せみたいなものは、私がどんなふうに生きたいかとは似ているけど関係がないことだと気づいた。
すこし空いた日常のスキマ。無条件にすきなこと。今までに学んだこと。それを活かした自分だけの仕事がないのかを考えた。
コロナ禍での再就職はやめて、自分で仕事をつくっていこうと決めた。
布を織る。染める。ルーツや歴史、素材の事を調べる。伝える。
色、もよう、手触り。自分にとって矛盾のないものづくりがしたい。
今まで悩んでいたのがなんだったのかというくらいに晴れやかなきもちになった。自信と心の余裕がなくなってしまって、好きなこと、やりたいことが見えなくなってしまっていたのだなと後になって思う。
日々のものづくりは大変だけどやりたいことだからがんばれる。こういう「楽しい」もあるのかと思った。
お客さまから学ぶこともたくさんあって、とてもありがたい。大切につくったものを、大切にしますと言って受け取ってもらえる。それだけでうれしい。それに、一人ひとりが日々を豊かに生きようとしている生活者なのだといつも感じる。自分自身の豊かさのために選んでもらえていると思うといつも背筋がしゃんとなる。じゃあ私も、ちゃんと正直に生きないと、と良い影響をあたえてもらっていると感じる。
商品のこととは関係がないけれど、昨年末からずっと書きたいなとあたためていたきもち📝